今年を振り返る
本日帰省、トラブル続出
忘年会で歌ってやろうかと一瞬頭をよぎった曲にして今年の私。
平成二十五年の所感。甚だ不本意である、又自身に遺憾の意を表明する。
ガスの不完全燃焼による一酸化炭素中毒にはご注意下さい。
煽られて 往き去る雲を 映しては わが身なりかと 思う年の瀬
師が走る 今やサンタも 選手入り
関係ない 関係ないのよ 基督は
モミ立てど 松竹立てぬ 日本人
冬至なら 同じはずだろ 柚子湯でも
関係ない 関係ないんだ 私もね
祝うなら 二日前のが 順当だ
一度だけ 一度だけなら 祝おうか
祝うけど 祝う相手は お日様に
絶対に 使いたくない あの単語
祭りだと 言い張る割に 祀ってない
恨みはない 恨みはないんだ 本当に
やったこと 無いだけなんだ あの祭り
沢山だ もう沢山だ 赤いのは
違うんだ 単なる赤と 紅いのは
煙突が 何処にも無いね この家に
私のね サンタ五歳で 死にました
指導した側と指導された側と 参
前回の番外遍 先週の組の子達は、自分たちが何故、授業外の時間で準備をするのに、お小言を言われねばならないのか、腑に落ちなかったらしい。この話は伝聞であるから、詳しい話は分からないが、幾ら腑に落ちなかったからといって、その人の人格的な部分を誇張して、罵倒するのは如何なものか?その話を聞いて私はとても悲しいやら、哀しいやらで、複雑な気持ちになってしまった。
教師というのは概して生徒からは嫌われる側の人間である。人間嫌いな先生は幾らでも居るだろうが、好きになる先生は意外と少ないものである。人生で先生と呼べる人を一人でも持てるのは大変ね事である。私は幸運にもその先生と呼べる人を学校の外ではあるが、居るのであるから幸運な人生なのであろう。その割にはと付随するものがあるので、一層情けないのではあるが・・・。
それはともかくとして、生徒に嫌われた先生は良い先生ではないと、即断してしまうのも稚拙なことである。其処ら辺は、難しいはなしであるが、
孔子曰、益者三友、損者三友。友直、友諒、友多聞、益矣、友便辟、友善柔、友便佞、損矣。
とあるように善柔は損であるらしい。ならば、嫌われるのも悪くはない。
勝手な講釈YM先生の昨日の授業で出た友情に関する問は、上の益三に帰結する。忠誠は諒にあたるだろうか? 寛容は度が過ぎると損三になりやすいので、気をつけねばならないだろう。『文選』にある劉峻の「廣絶交論」も面白い。
指導した側と指導された側と 弐
先週にひき続き、茶会のお話である。先週はまた別の組がやってきたのだが、例にもれず一夜づけと、相成った。どうやら、上には上ならぬ、下には下があったというべきであろうか。結果論的に言ってしまえば、先々週の組よりかは、まだましに収まったという評価が下されたらしい。
しかし、練習態度は、先週の組は先々週の組と比べて、格段に悪かったのである。抑々論として、比喩ではあるが、人様の家の湯飲みを家主がいないうちに、断りもなく勝手に使うというのは、一人の人間としては如何だろうか?
それに対しても、別段悪びれるわけでもなく、謝れとは言わないが、借りるなら借りるなりの礼儀ぐらい、曲がりなりにも茶道の授業を取っているのなら、実技以前の問題として、心構えが多少なりとも出来ていてほしいと思うのは、過大な要求であろうか?
愚痴は此処までとして、今回言いたいのは、比較論として、前回の場合と、今回の場合過程が評価できない状態で、それなりの結果が出てしまった場合、過程があまり評価できない状態で結果もあまり評価できない場合、どちらが評価的に上に判断すべきかという問題である。基本評価が、悪いという評価の中での扱いである。
私的には私怨も関係してしまうからかだろうが、今回の組の方が下に感じたのである。教師に私情が許されないのは当たり前であるが、完全にというのはロボットでない限り無理であろう、どの程度私情の混入が許されるかが、この場合問題である。
指導した側と指導された側と
先週の記事で触れた、お茶会の話である。臨席した指導した側の人のお話を聞くに、お茶会をやった本人から聞いていた状況より連想した、私の予想を遥かに超える惨憺たるものであったらしく、同じことに対する、状認識がここまでかけ離れたものになるとはと、感じた訳である。
これを以てこれを考えるに、指導した側からしてみれば、ここまで教えたのであるから、最低でもここら辺まではという、淡い期待を懐いてしまうものである。その期待値を下回ってしまえば、やはり指導した側は少なからず、教えた側に負の感情を懐くであろう。
また、指導された側が、自分は最善を尽くしたとは言わないまでも、最低限のことはやり遂げたと達成感を懐いてしまっている場合にそれは、教えた側からすれば、諦めにも似た境地にならざるをえないのである。
わかっていたことではあるが、という前置きはつくにしろ、その様な状態に陥った場合、やはり指導した側からすれば、設定した最低限のラインは下げられないものであり、最低限そこにはもっていかねばと、義務感らしきものが生じるであろう。今回の件でいえば、昨晩皆で話して確認したの事の流れだけは覚えておいてほしかった。といったことである。
しかし、そもそも、好き好んで指導される側がその事に当たっているとも限らないのであり、世の中好き好まずに「やらされている」といったことが大半であろう。
それを踏まえたうえで、指導する側はされる側に、期待値や最低ラインを設定べきであるが、どちらにしても人間である。最終的には指導する側、される側の力関係の綱引きによって、事の達成度合いが最終的に決まるのであろう。
その度合いの決まり具合といっても憲法十三条の「公共の福祉に反しない」といった文言の「公共の福祉」のテキトウさ位テキトウであるのだが・・・。
今回はどうやら、指導される側の権利が優先されたらしい。こういった目に見えない所も相手の対場に立ってフォローせねばならないのが、教師の大変な所であるとつくづく思うのである。
御託だけは大層である
毎度のことだが、いつも思うのである。言行の不一致が甚だしいと。堕落したといえばそれまでであるが、中途半端が一番性質の悪いものである。昨日更新予定で下書きしていた文章は昨日の時点で日の目を見ることが物理的に不可能となり、週三回の更新も儘ならない。直接的な原因は料金の滞納による、ネット環境の強制切断であるのだが、図書館でオフラインで下書きした文章を、リンクを貼る作業をしながら、他愛もない文章にするのが意外と時間がかかる。
昨日は放課後、部活終わりに今日開催だった、茶道の授業の受講生の練習を見たのであるが、成功したのであろうか?本人から何とかなったとは聞いたが、私はその場にいたわけではないので、彼の言葉を信じるしかないのである。正直な所、一夜づけ相当の練習と指導では劇的な改善は見受けられなかったであろうが、教えた側からしてみれば、不安で仕方がないのである。特に伝統芸能系の体で覚えるタイプは一朝一夕には成果は出ない。それ故累積戦略的であるといえるセンター試験の解き方といった小手先の技術は順次戦略的に習得できるが、学問というのは概して累積戦略的である。だからそれまでの低空飛行を如何に耐え得ることが出来るかが、その成否を大きく分けるのである。
順次戦略と累積戦略については こちら
自らを振り返る
偶々昨日の授業で、人権について話が出たのでついでなので、人権教育について多少振り返ってみることにする。人権教育と言っても、中学校は私立に行ったからか、あまりそういった事には力は入れていなかったので、公立の小学校の時の話が大半であるのだが。
人権と言っても様々な形があるであろうが、人権といって一番耳にするのが同和関係ではなかろうか?
自分の受けた教育では、小学校ということもあっただろうが、同和のドの字も先生の口からは出なかったような記憶がある。それは地域的にそれを却って押し出すと、差別が顕在化する可能性があったからではなかろうか、別の視点から言えば、下手なことを先生が言った場合に、実際に件の地域が学区内にあると、先生自体が洒落にならないということもあるといった点もあるだろうが。
実際のところ人権教育といっても、いじめ等を題材としたポスターの作製やや障碍者について実際に話を聞いたり、体験学習をするぐらいのもので、歴史な穢多だのなんだのというのは、六年生で歴史の授業でふれられる位のものであった。それ故歴史に興味がある子供位でないと、そういったことは知りもしない可能性があるというのが実情ではないだろうか?
大前提として、出自による差別は絶対あってはならないことである。しかし、少し斜に構えるならば、個性を大切にしようという教育と差別は絶対あってはならないという理由で、運動会でみんなで手をつないでゴールする様な、順位をつけないと言った様な無差別教育は、二律背反的ではないかとも思うのである。差別が言い換えるならば分別があって初めて、個というのが浮かび出てくるのであって、無分別をというのなら、ゆとり教育ならぬさとり教育が必要になってくるだろう。
とかく人の世は生きにくい
山路やまみちを登りながら、こう考えた。
智ちに働けば角かどが立つ。情じょうに棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降くだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊たっとい。
住みにくき世から、住みにくき煩わずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画えである。あるは音楽と彫刻である。こまかに云いえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧わく。着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」、第3水準1-88-22)鏘きゅうそうの音おんは胸裏きょうりに起おこる。丹青たんせいは画架がかに向って塗抹とまつせんでも五彩ごさいの絢爛けんらんは自おのずから心眼しんがんに映る。ただおのが住む世を、かく観かんじ得て、霊台方寸れいだいほうすんのカメラに澆季溷濁ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収め得うれば足たる。この故に無声むせいの詩人には一句なく、無色むしょくの画家には尺※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)せっけんなきも、かく人世じんせいを観じ得るの点において、かく煩悩ぼんのうを解脱げだつするの点において、かく清浄界しょうじょうかいに出入しゅつにゅうし得るの点において、またこの不同不二ふどうふじの乾坤けんこんを建立こんりゅうし得るの点において、我利私慾がりしよくの覊絆きはんを掃蕩そうとうするの点において、――千金せんきんの子よりも、万乗ばんじょうの君よりも、あらゆる俗界の寵児ちょうじよりも幸福である。
いきなりだが、漱石の草枕の冒頭である。自慢でもなんでもないが、私は受験というものには落ちたという経験がない。それだけ楽な人生であったが、現に身内が受験というものに落ちた場合、なんて言葉をかけるべきか迷うのである。身内だから、言わんこっちゃないですむのであるが、人生の挫折は知ってはいるが、受験の挫折は知らない私。之が教師として、生徒を教えていた場合どの程度の責任があるのだろうか? 個人の努力が足りなかった、と終わらしても良いのだろうか?教師は自分の手から去っていた元生徒と、これから教えるであろう未来の生徒を天秤にかけた場合、常識的には後者のことを四月の一日から考えるべきであるが、元生徒に対してはどの程度以後の人生の責任がついてくるのか? なかなか難しい問題である。